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産経新聞 from

  • 2009-07-28 (火) 16:45

平成14年4月より、産経新聞にてエッセイを連載させていただいていました。



優秀な派遣社員の苦悩

平成14年4月11日(木)

失業率5.3%。私が生まれ育った大阪・船場も、ご多分にもれず最悪の不況にあえいでいる。

「このままでは、大阪から船場が消滅してしまう。」

そんなうわさも現実味を帯びて聞こえる。三月危機説を乗り切ったとはいえ、この不況は相当に深刻だろう。

国の経済見通しは専門家に任せておくとして、女性の立場から雇用の実態を拝見すると、少しばかり妙な現象に首をかしげてしまう。

リストラによって中高年の男性は職を失っている一方で、優秀な女性が「派遣社員」としてどんどん雇用され始めているからだ。
これについては、アメリカ社会と同じように日本もかなり合理化されてきた、という見方がある。
確かに中高年男性の再就職が難しいことは、「終身雇用」というぬるま湯につかってきた反動として、やむを得ない面もある。しかし女性がどんなに有能でもいわゆる「正社員」になれないというのは、苦々しい現実以外のなにものでもない。

昨年改正された労働者派遣法では「企業はいずれ正社員にすることをめざし、派遣社員を雇用する」となっている。これが法律の趣旨である。ところが長 引く景気低迷の中で、固定費(人件費)の削減を目指す企業は、安い賃金の女性派遣社員を雇用したがる。そこで有能な女性派遣社員が増える。裏を返せば、リ ストラで穴のあいた労働力を、優秀な女性社員たちが埋めているわけだ。

街のハローワークにやってくる失業者は「派遣社員に職場をとられてしまった」とまゆをひそめ、一方、知り合いの女性派遣社員は「派遣法の施行で、逆に正社員にな門が狭められた」とため息交じりに話す。青息吐息の船場はかつてのにぎわいがうそのようにさびれている。「関西復権」はもはや死語に近いが、ワークシェアリングなど雇用形態が変遷するなかで、ここは女性も忍んで日本を支えるしかないのだろうか。

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水がめの運命

平成14年5月18日(木)

縄文や弥生時代からの遺跡から出土した土器には、穀物だけでなく水をためる「水がめ」が多数含まれている。雨水や清流の水をプールし、飲み水として利用する古代人の知恵だ。
昭和の中ごろまで、井戸水を使う田舎には必ず大きな水がめがあり、柄杓(ひしゃく)で水をくみ、飲み干した経験をお持ちの方もあろう。

日本一の面積を誇る琵琶湖には、また「近畿の水がめ」と呼ばれている。最近は母なるという冠をつけて「マザーレイク」とも。
近畿千四百万人の十年間分にあたる、二百七十五億トンの水をたたえているからだ。
「空気と水はただ」という人間のおごりは、この貴重な水質源にも悪影響を及ぼしている。京都や大阪に近い立地とすぐれた景観からレジャー基地となり、ベッドタウン化も進む。下水道整備が追いつかず、生活廃水などの流入は想像以上で、毎年発生するアオコ(藻の一種)の範囲が拡大しているという。

かつての滋賀県知事が、「琵琶湖は水がめではない」と反発したことがある。琵琶湖は実に四十万年の年を経て、東側の鈴鹿山脈から現在位置に移動してきた。野鳥の天国として知られ、いまも五十種類以上の固有種が生息する。

「単に水をためておく場所ではない」と強調し、自然保護の重要性もアピールしたのだった。
今年、琵琶湖周辺の桜は十日以上も早く散ってしまった。江戸時代、この地に逗留(とうりゅう)した松尾芭蕉は「行く春を近江の人と惜しみける」と詠んだが、まさに惜しむ間もない春であった。こうした変化も、生態系にどう影響するのか。

琵琶湖は現在も年間平均でニセンチずつ北へ移動している。遠い将来、地殻変動で日本海と直結してしまう恐れもあるという。人智では計り知れない湖の営み。「優しい母」を粗末に扱うと、私たちが見捨てられてしまう。いま本気で心配している。

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病を得た友からのメール

病棟の中庭では、新緑が揺れていた。日比深まりゆく緑。自然の力強い営みを前に、私ともう一人の「独身女性」がうかない顔をして話し込んでいる。
「子宮がんの手術、大変だったの?」「ええ、全摘手術よ。五時間もかかって…」彼女は私と同じ年齢だ。十数年前に大学を卒業してから、ずっと頑張って仕事をしている。気も合い、励ましあってきた大切な友人の一人である。その彼女から一通のメールが届いたのは、今年初めのことだった。
「子宮がんと診断されました。どこかいい病院があったら教えて」
あまりに冷静な文面に私はすぐには現実が受け止められず、何度も読み返した。
術後、少し落ち着いたと聞いて病院を訪れた。放射線治療で髪は抜け、少しやつれてはいたが、化粧をしてはいないせいか童顔がとてもかわいく、私はなんだかほっとした。そして、陽のあたる病院の中庭に出て話した。

「私の場合、一年くらい前から異常があったの。体が赤信号を発していたんだけれど、仕事が忙しく、病院に行けなかった」
仕事を持つ独身女性の宿命なのか、三カ月でも早く病院に行っていれば、という後悔の念は大きいに違いない。それでも友人は、再発の防止や今後の生活設計を気丈に話した。生半可な同情は失せ、病に立ち向かう姿にエールを送りたい気持ちにかられた。

子宮がんの多発原因については、食事の西洋化や晩婚化などを理由に挙げる医療関係者も多い。しかし早期発見の場合、病状が一期であれば五年生存率は90パーセントを超えるほど医学は進歩している。彼女は懇願するように言った。
「あなたは検診を受けて」

勇気を出して検診に臨んだ。あっという間に終わり、費用も数千円程度。「異状なし」の通知を受け取って、親友と私の宿命を思わずにはいられなかった。人はなぜ年齢を重ね、病を得るのか。人生って何だろう。

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「良心」というビタミン

いま、日本の企業に一番不足している栄養剤は何だろう。茶化すつもりはないが、「良心」という名のビタミン。赤信号が灯りっ放しの食の安全を考えるとき、そう思わずにはいられない。

BSE(牛海綿状脳症、狂牛病)に関連した不正偽装事件に端を発し、産地偽装や品質期限のごまかしなどが次々と発覚した。消費者はいったい何を信じて食品を選べばいいのかと、嘆きたくなる状態である。
雪印食品の次は日本ハム。良いものだと信じてきたブランド商品の裏切りに対する怒りの矛先は、むしろ事件が発覚してからの会社の姿勢に向けられている。

「隠蔽工作」。組織の中で大きな問題が世間の知るところとなったとき、必ずこの言葉が新聞紙上をにぎわせる。子供たちには知られたくない、「ウソつき大人社会」の一面である。

問題を起こした企業は結局、自社製品について安全面での信用を失い、市場からの退場も余儀なくされている。昔の人は「正直は国の宝」と言った。良心や正直さを見失ったニッポンの企業に対し、全国民が、猛省を促していると心得るべきだ。
一方で、こうした一連の事件をきっかけに、消費者側の食品に対する意識も問い直すべきだろう。スーパーやコンビニにずらりと並んだ食品にいちいち疑念を抱くわけにはいかないが、食品も高級バッグと同様に「ブランド志向」で選んではいなかっただろうか。産地とか販売・加工メーカーとか、固定観念にとらわれすぎていた気がする。

本当においしくて、体に安全な食べ物を選択する、確かな目を持たなくてはいけない。そのための情報を得る努力も重ねなくてはならない。

もちろん、環境破壊が叫ばれる仲、無駄な包装がされている物は買わないなどといった、環境にやさしい商品を選ぶ社会的な目も大切だろう。

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飲酒「自動停止」カー

今年六月から改正道路交通法が施行され、悪質違反の罰則が厳しくなった。中でも、特にお酒を飲んでの運転に対しての厳しさは相当なものだ。当局は「一滴たりとも飲ませない」という、断固たる姿勢を見せている。

施行から四か月。お酒と運転をめぐる状況は変わったのだろうか。例えば、私が参加するゴルフコンペのパーティーではノンアルコールビールなるものがずらりと並べられ、ゴルファーたちがジュースを酌み交わすという光景が見られるようになった。

飲酒運転に対してシビアになったのは結構だが、何かおかしいと思うのは、一部のドライバー(意外に多いかも)の中には、反感の矛先を警察に向けているという点だ。警察に捕まって三十万円の罰金を払う羽目になっては大変だというわけだ。
こんな意識だから、今日は雨が降っているし、夜中二時を過ぎたから、もう検問はしていないだろうという勝手な判断で、酒気を帯びて運転するやからが出る。これでは本末転倒もいいところだ。

今後、悲惨な事故を減らすために、さらに厳罰化の方向に向かうことも十分考えられる。しかし、罰則を厳しくすれば解決するかというと、必ずしもそうではない気がする。

違法駐車をなくすために、駐禁一回十万円の罰金なんて事態になったらどうだろう。今でさえ、取り締まる警官は憎まれ役になっているのに、こんな程度では済まない。厳罰化は警察に対する反発を強め、市民の非協力的な態度となって表れるやもしれない。警察と市民の信頼関係の破綻(はたん)という、違った意味で恐ろしいことになりかねない。

ならば、運転席でアルコールを感知したら、エンジンがかからない車は開発できないものか。最近の車の技術革新はめざましい。愚かな人間の過ちをなくすには、メーカーにもそれぐらいの負担をお願いしたいものである。

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一本の抗議電

言葉の表現って本当に難しい。テレビで多くの視聴者に向かって話す仕事をしながら、何気なく使った言葉に抗議を受けて「しゅん」となってしまうケースもある。

「障害者」という言葉を「障害を持つ人」と言い換えて表現することがよくあるが、先日、一人の視聴者から電話を頂いた。
「障害を持ちたくて持っているわけではない。持つという表現はやめてほしい。あえていうなら障害のある人にして」
軽い気持ちで使っていただけに自分の言葉が気付かぬ間に人の心を傷つけていたのかと思うと辛かった。

町の書店に行くと、障害者に関する著書もたくさん並んでいて、ベストセラーにもなった本を読むと「大学に進学し希望と夢にあふれ、すばらしい人生を歩んでいる」という感想を持ってしまう。もちろんハッピーなことばかりではない。
絶望的な難病との闘病記録、車いす生活の涙ぐましい闘いなどもある。さらに障害者は身体が不自由な人だけではない。現代は心の障害者も多く「鬱病の対処の仕方」とか「心身症」などの著書も見受けられる。

改めて「障害者」という言葉を幅広くとらえなければならないことに気づき、不勉強を恥じ入るばかりだが、少しショッキングな話にも遭遇した。「これから二十年もすれば精神を病む患者が倍増しますよ」
なぜか。「団塊の世代は孤独にたえられない人が多く、精神的に破綻(はたん)をきたしやすい。一方悲惨な状況をくぐり抜けてきた戦前・戦中派の人は気力があり、元気な人が多い」というのだ。独りよがりの勝手な意見かもしれないが、リストラなどによる中高年の自殺が年間に万人を超えているという。何となく「そうかな」とも思った。

二十年後、日本は確実に高齢化社会になっている。一本の抗議電話に言葉の重さをかみしめ、私の思いは複雑に揺れた。

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「不安病」の克服法

「もうかちまっか?」「ぼちぼちでんなぁ」という関西独特のやりとりも遠い昔。今やぼちぼちどころか「あきまへん」「さっぱりですわ」の連発でほとんど「万歳(関西弁で手の施しようのない、お手上げのこと)状態」である。

関西のみならず、国中にデフレ風が吹き荒れて「風邪」がなかなか治らないが、これに拍車をかけているのが、増殖中の、それもかなり耐性のついたウィルスのような「不安病」ではないだろうか。あえて「病」と書いたのはこの国がかつての欧州の国のように膨大な財政赤字を抱え「病める国」になってしまっているからだ。不況。給料カット。福祉切り捨て。このままだと「日本はつぶれてしまいそう」という声も聴く、「老後は大丈夫だろうか」「いつまで今の仕事を続けていられるかわからない」。皆抱えきれないほどの不安を持って生活している。

お金に苦しみながら唯一この不安を解消してくれるのが、お金という「皮肉」。それなら節約して、買いたい物も我慢しいようということになるのは当然。

不安病は高齢者の方が重症かもしれない。六十五歳以上の貯蓄高が国民の平均と比べてかなり高いことからも、老いて生きていく上での不安の大きさがうかがえる。自分は節約に節約を重ねて、何があっても迷惑をかけないように、また子や孫のためにせっせと蓄えを増やしている健気(けなげ)な老人の姿である。

大阪・船場で丁稚(でっち)奉公から苦労して小さな会社を作った私の祖父の口癖は「無駄遣いはあかん。お金を大事にしなさい」だった。が、今しかできないこと、今こそ感動できるものに対して投資することは二度とない人生を楽しむために必要なことだと思う。
不安病のウィルスに勝つには老若男女がくよくよせずに「元気」を出すこと。それに(1))楽しめる趣味(2)何でも話し合える友人(3)少しの蓄え―があればよい。いつまでも不安病にかかっていては、人生もったいないではありませんか!

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天からの示唆

「ヒツジ年」の今年に希望を持っていると言ったら「おめでたい人。一体何を考えているの」と失笑を買ってしまいそうだ。それほど積み残しの「負の遺産」がどっかりと重くのしかかる日本。中でも私たちを暗い気分にしているのは、長引く不況だ。中高年男性の自殺の増加という胸に痛みを覚えるつらい現状もあるが、人間そう弱いものではないと信じたい。

バブル崩壊後の失われた十年、日本は進むべき方向性を見失って漂流しているが、逆に見えてきたものも確かにある気がする。
知り合いの一人に「滅私奉公」でがむしゃらに会社に尽くしてきたのに、いきなりのリストラに遭った人がいる。

老後のこととかローンの残額など生々しい問題にさいなまれる中で、一体自分は何を目指してきたんだろう。本当の幸せって何なのか、今しみじみと考えるようになってきたという。
独断だが、見方を変えればこれは「天からの示唆」と言っていい。物の豊かさだけが幸せではない。家族の温かみ。友情の大切さ、健康のありがたさ、人間らしい感情を見失ってきた日本人への「ありがたい警鐘」なのかも知れない。

こうした感情が「社会=会社」にみられる、自分たちさえよければいいという利己的な考えから、自分も社会の一員なんだという自覚につながっていけば、不況の蒔(ま)いた「苦い種」も、ひょっとしたら新しい文明の萌芽(ほうが)を出すかもしれない。
行政に頼らず、自分たちの力で、暮らしや教育のあり方を模索していく自立の精神は、国家というひとつの細胞を形成する町づくりの真のパワーになる。NPOなどの活動の広がりにも期待したい。

もちろん経済復興は望むところだが、もはや成金も金満家も出る幕はあるまい。今年必要なのは一人一人の価値観の見直しと発想の転換。そして日本人としての心の持ちようだ。希望を目指して「思考回路」をめぐらそうではないか。

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笑顔が活力

先日、帝国ホテル料理の村上信夫氏にインタビューした際、食事までご一緒する光栄に浴した。東京オリンピックで選手村食堂の料理長という大役を務めた人でもある。

村上ムッシュは八十一歳の高齢。しかし自分で年齢を意識したことはないとおっしゃるように、驚くほどによく飲み、よく食べ、よく話し、そしてよく笑う。
お話を伺っているうちに日付が変わったことにも気付かぬくらい、楽しい一時を過ごした。
なかでも興味深かったのは、私の目の前に座ったムッシュが、料理が運ばれて来る度に会話をやめ、「ありがとう」と感謝の気持ちを表される。加えてひと口食べるごとに「おいしい」と絶賛するのだ。

日本のフランス料理界の大御所といわれ、頂点に達した人物でもあるにもかかわらず、なぜここまで周りの人たちを気遣われるのだろう。素朴な私の疑問をムッシュにぶつけると、さらりとこう話した。
「私は苦労してきましたからね。人生楽しく過ごさなきゃ。嫌なことがあってもくよくよ嘆いてばかりいてはだめ。人間、気の持ちようですよ。はっはっはっ」

ムッシュの心境は現代人、とりわけ働き盛りの人たちにとって「別世界のこと」のようにも思えたが、日々小さなことに腹を舘、いらいらして不満を募らせている人のなんと多いことか。どんな小さなことにも感謝の気持ちを忘れない。
これが日本人の美徳ではなかったか。いつまでも不満たらたらでは幸せを取り逃がしてしまうというもの。

「経営者たる者、いつもにこにこ元気よく!あとはほんの少しの知性があれば何とかなりますよ」。別の仕事中に、こう教えていただいたのは、アサヒビール名誉会長の樋口廣太郎氏だ。どんな時も笑顔で人と接し、周りの人たちをも幸せにする。

とかく「八方塞(ふさ)がり」で沈みがちな日本人。こうしたリーダーたちの姿勢に「上昇」のヒントがあるような気がしてならないが…。

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